「東京丸の内グループ」は、「名古屋丸の内」といったん縁を切り「サンワ」と合併し「サンワ東京丸の内」(STM)となりました。サンワと同時に「西方事務所」の西方康一先生がSTMに対し合併を強く望まれたのですが、「西方」が三菱銀行や三菱商事、STMが三井物産の多角的業務を受託していたのでその時は西方先生の御期待にそえない結果となりました。そして昭和六十一(一九八六)年十月一日にはサンワ・等松青木監査法人(Tohmatsu Awoki & Sanwa 川北会長、木村包括代表)が出来上るのです。しかしその後暫くして「名古屋丸の内」「西方会計士事務所」「STM」に「札幌第一会計」や「三田監査法人(DH & S JAPAN)」も含め最終的には全六社が合併して新生トーマツを作ることになるのですから運命はわからぬものです。
右の経緯によりSTMは、いったんは特別に高松宮様に御内諾をいただき普通の収益法人は入れない芝の日本赤十字本社ビルに移り、そのあとトーマツと一体となって虎ノ門の琴平ビルや、芝のMSビルへ移りました。
宗和ビルの空室となった部分は貸ビルとなりました。KMG(一時川北がボードメンバー)オーストラリア事務所から三年の駐在ののち帰国、トーマツで働いていた徳永信(長女麻実の夫)に私の会長時代まだ税務を守備範囲としていなかったトーマツから退任してもらい宗和ビルで川北創業以来の法定監査以外の個人業務を引継ぎ宗和ビルも守ってもらうことになりました。
そしてこのビルはその後の川北のJICPAやCAPA会長業務等の公務の全活動をも支えてくれる重要な拠点となりました。